敏江師匠のふるさとは?

<今日のメモ>
文楽劇場での独演会。毎回の裏テーマとして①到着したら浴衣に着替えて噺家っぽく見せる。②楽屋の写真を何枚も撮る。と2つ決めているが、結局今年もできなかった(笑) 鶴笑師匠、チキチキジョニーさん、華紋さん、劇場・スタッフの皆さま、もちろんお客様、本当にありがとうございました!!
<今日の仕事>
フクマルまつり~桂福丸独演会「阿弥陀池」「稽古屋」「女侠客・奴の小万」×2(昼夜)(鶴笑師「立体西遊記」華紋師「うなぎ屋」チキチキジョニー師「漫才」)
<今日のワンカット>
文楽劇場小ホールと言えば、最晩年の正司玲児師匠の演芸特選会でのお出番を思い出す。
あ二人でしゃべって、一度玲児師匠が袖にはけて椅子に座ってはあはあと息を整える。
その間敏江師匠がつないで、また玲児師匠が出て行って二人で喋る。
芸への執念と気合を見せられました。

その敏江師匠も亡くなりました。
敏江伝説ふたたび。
師匠はよく「うちは小豆島の産まれや。」と言ってはりました。
ところが、ある年私が小豆島の近くの家島に行ったとき、地元の人が「この島は正司敏江さんの故郷でねぇ。」と言いだした。
「え?・・・小豆島でしょ?」
「いやいや、間違いなくこの島ですよ。敏江さんがこの島に仕事で来た時も、同級生の人がたくさんやってきてねぇ。」
これは間違いない(笑)
次に師匠にお会いした時に
「師匠!生まれはった島、小豆島やなくて家島ていうところですよ!」
と言うと、
「ようわからんわ。」
「いや分からんて!(笑)何か覚えてはることないんですか?」
「そやなー、とにかく・・・・ちっちゃい島やったわ。」
以上・・・。
さすがレジェンド。

#桂福丸

2021年10月03日 | Posted in 福丸ブログ | | No Comments » 

関連記事